ISBN:978-4-910205-16-8
定価:\1800+税
作品概要
だれが言っているのかも分からない言葉。
赤は政治だ。橙は歴史だ。黄は経済だ。緑は宗教だ。青は社会だ。紫は哲学だ。黒は自然だ。白は言語だ。その組み合わせのどこに必然性がある。濃い紫が哲学ならば、ただの紫はなんなんだ。そこになにかがいるのなら、それらを聞くこいつはなんだ。学問的な権威が、どこまでみんなを助けたのだろう。我々はいったい、どこに生きている。生きることを絶対視して、なにをかえりみなかった。
そういうふうに人を扇動して、なにが楽しかった。分かっているような気になることも、分からないふりをすることも、もう潰えた。ヒューマニズムにかたむきすぎたさきには、あるいは人間を悪と見たあとには、なにが残る。いや、なにも残らなくてもいいはずだ。なにかを残してもいいはずだ。けれど、あの人は立派な業績を残したがあいつはなにも残さなかっただなんて、言いたくはなかった。あの人は人間のことを考えていたとほめながら、ほかを無視するような真似を、したくなかった。
えらそうに、えらそうに、おれはなにを語ったんだ。言葉なんて、できるやつとできないやつとを弁別する手段でしかないはずなのに。いいよ、もう、どこにも必然性はない。おれはずっと考えてたよ、おまえらがこのままいがみ合うのであれば、おれは死んでやるって。おれが死ぬから、みんな互いを憎み合っててもいいから、傷つけ合ってもいいから、殺し合うのだけはやめてってさ。なんて勝手な言い分だ。語って、ちぎれて、進んで、信じて、はばんで、忘れて、騙り合う。
どうか、これを狂気と、呼ばないでやってくれ。
著者紹介
小憶良 肝油(おおくら かんゆ)
便宜上、「濃い紫」は小憶良肝油の初の出版物です。小憶良肝油は存在しません。小憶良肝油は架空の人格でさえありません。著作権者は小憶良肝油を設定しました。しかしその設定上の著作者は新たに語り手を配置しました。ここにおいて、人格としての生命は、著作権者と作品における語り手とその語り手によって語られる物事に集中しました。媒介としての小憶良肝油は、生命を放棄しています。
外部にかぶったペルソナと、内部にかざしたペルソナを、合わせてみましょう。ゆがんだ球形が得られます。それをころがしてください。ほとんど、ころがらずに、とまるはずです。もう、分からないでしょう。くっつきあったふたつのペルソナのうち、どちらがもともと外部にひらかれていて、どちらがもともと内部にとじていたのか、すでに追うことはできません。そしてその球形の中身が、どのような構造になっているかも、未知に置かれました。なにかが、つまっているのでしょうか。ふっても音がしないのならば、しきつめられているのでしょう。
割ってください。空気が震えて、終わりです。こなごなになった球形は、ふたつのペルソナによって出来上がっていたことすら忘れているでしょう。なにもありませんでしたね。それが、小憶良肝油の正体です。空気の震えは言いました。「小憶良肝油は存在しない」