ISBN:978-4-434-27615-6
定価:\1600+税

作品紹介

岡山市内にある「よつ葉園」は1936年の創立以来、先駆的な取組をする養護施設(現行法令の「児童養護施設」)として定評があった。森川一郎2代目園長は、自らの志を継いでくれる若者を探した結果、大槻和男少年にそれを託そうとした。彼は卒業後2年間よつ葉園に勤めることを条件に、大学に行かせてもらい、卒業後、約束通りよつ葉園に就職した。2年間の葛藤の末、彼は結婚し、引続き、よつ葉園に勤め続けることになった。そして1982年4月、37歳の年に園長就任。
よつ葉園は1981年、それまでの津島町から郊外の丘の上へと全面移転していた。彼はよつ葉園の子どもたちに、社会性を身に着けさせることで改革を実現しようとした。努力の甲斐あって、昭和の終わりには国立O大学への進学者も輩出できた。ここは若い女性の多い職場だが、数名の男性職員もいた。大槻園長は彼らと力を合わせ、よつ葉園を改革した。子どもたちはそれまで以上にのびのびと暮らし、力強く社会へと巣立っていった。だが、彼の手法には幾分強引な面も見られた。終戦時から40年近く勤めた山上敬子保母の定年退職のときは、確かによつ葉園を改革していく上でプラスになった部分もあった。しかし、それまで自分を支えてくれた男性職員たちは、思うところあって新天地を求めてよつ葉園を去っていった。
私生活上においても、彼には一波乱があった。息子たちが大学を卒業して後、彼は離婚を経験し、ほどなく再婚した。いずれも、社会性に長けた女性であった。
彼は、社会性を徹底的に重視し、自分の息子たち同様、よつ葉園の子どもたちをのびのびと育て、社会に送り出した。しかし、現実には彼を支えてくれた男性職員たちは、相次いでこの地を去っている。それは、真に必要なものが欠けているゆえに起こったことであると、やがて彼は気づいた。幸い、後を託せる若い男性児童指導員の目途も立った。園長退任を前に、彼は自らの福祉人としての人生を総括し、一流の福祉人とはいかなるものかを、若い職員たちを前にして静かに述べた。
「一流の職員とは、技術が一流ゆえに一流なのではない。・・・」

著者紹介

与方 藤士朗(よかた とうしろう)
1969年 9月12日 岡山県備前市(当時は和気郡備前町)生
6歳から18歳まで岡山市内の養護施設(現在の児童養護施設)に入所。
1987年10月 大学入学資格検定合格
1988年 4月 岡山大学法学部第二部法学科入学
1993年 3月 同卒業。
その後、学習塾講師、学習塾経営、家庭教師等を経て、現在に至る。
小説・養護施設シリーズ 現在、続編執筆中。
著書 「とむらいの汽車旅2万キロ」本名名義 2006年9月 吉備人出版。
趣味 鉄道研究(岡山大学鉄道研究会OB)
   日本プロ野球史研究
   酒の飲み歩きとラーメン・カレーの食べ歩き、銭湯・サウナ・温泉めぐり
   アニメ・プリキュアシリーズの視聴