ISBN:978-4-910205-29-8
定価:\1600+税
作品概要
我々はいずれ三次元の肉体から、二次元の写真へとなるでしょう。
我々はこの世界にとって、儚い存在に違いないけれど、この世界は我々にとって、生きる、食べる、死ぬというようなことが次々と上演される唯一の場所である。このような世界から我々は逃げることができず、ここで生、老、病、死を経験し、喜、怒、哀、惧、愛、悪、欲の感情を満喫して死んでゆく。従って、我々と世界は不可分であり、ともに生き、ともに壊滅する共生的な関係にある。このような世界に対して、我々はどうのような思考を持って理解すべきなのか。本書は世界に対する賛歌ではなく、悪口ではなく、ただ世界と我々の関係に対する一つの思考だけである。
本書の内容は、人、死生観、孤独、恋愛、霊と肉、歴史と文字、旅、芸術、家庭などにわたっている。なるべく簡単な一言で世界の物事を解析しようと思っている。そして、日中両国の薫陶を受けている筆者は、同じ漢字を使って、日本の読者にちょっと違ったリフレクションを送りたいと思っている。この本はこの世界に対する一つの答えであるが、絶対なものではない。もし、読者の思考の泉に一石を投ずることができれば、幸いに思う。
〈摘要〉
「死生観」
悲劇とは、美を帯びた存在である。それは喜劇の為し得ない美である。終わりのあるものに対して、人間はいつも嘆きたがり、心に痛みを覚えるものである。
この物事本来の持つ美は、物語を通して創造し、昇華し得ないものである。したがって、人間が死について考える行為は、それ自体が悲壮なる美を帯びているのである。
「私と我々」
我々の経歴は我々が何者であるかを決めるのであって、我々が何者であるかによって、我々がどんな経歴を持つかを決めるのではない。
「孤独」
自分が孤独であることを認めるのは、恥ずかしいことではない。孤独は寂しさを意味するのではない。寂しさは一つの状態であるが、孤独は人の属性である。孤独であることは人の付き添いや、寂しさを紛らわすために他人に従順であることを意味しない。孤独に気づいた時、気づく人は一生孤独となる。
「創作」
小説が生まれた原因というのは、我々の経験には限度があるが、想像力は無限であるためなのかもしれない。
想像において、我々は過去を補い、未来に思いを馳せることができる。文字によって、生死をすら超脱することができる。
著者紹介
肖陽(ショウヨウ)
1996年に中国貴州省生まれ。学部時代から日本に関心を寄せ、2018年に日本に留学し、現在、東北大学博士課程で日本政治外交史を専攻している。日本歴史、茶道、宗教などに興味を持ち、日中両国間の相違点と共通点を吟味しながら、楽しく日本に住んでいる。