ISBN:978-4-910205-14-4
定価:\1800+税

作品概要

戦略戦術などという言葉は、多用すると周囲から白い眼で見られるような言葉かもしれないが、大掛かりな計画作成には必須な区分概念だ。
織田信長が、敵対勢力に対し十分の一の兵力で敵に勝ったのも、戦略の策定が我が味方に十分理解され、兵が打倒今川に燃えていたからだ。

ロシアと日本の戦いでは、世界中が、日本が勝利するとは思っていなかった。というよりも日本は何と無謀な戦いをするのだと思っていた。
当時の日本はロシアと戦っても、負けると国家が消滅する。戦わなくとも、間違いなくロシアの植民地にされ、国民は塗炭の苦しみを受ける。という状況で、日本はロシアと戦うという選択をした。当時の政府と軍はどのような作戦を練ったのか。

第二次世界大戦に参戦する日本は〈アジアの開放〉というスローガンを掲げた。
戦後になって連合軍総司令官マッカーサーのアメリカでの公聴会で、
「日本の連合国と戦う、という選択は間違っていなかった。資源を輸入できなくなれば、日本は数千万人の失業者が出て経済は破滅すする。それを避けるために、連合国に戦いを挑むのは正しい選択だ」と発言している。
東南アジアの去る国に出向いた日本の高官が、
「先の大戦では、日本が貴国に大変な迷惑をおかけいたしました。深くお詫びします」と発言すると、通訳は思わず口ごもり、まったく別の通訳をした。なぜならばその国では日本に迷惑をかけさせられたなどという認識は全くなく、植民地から解放してくれたことの、日本への感謝があるのみだったから。

第二次大戦の敗戦後、連合国は、日本に対して自虐史感の教育を押し付けてきた。曰く、日本は他国に侵略し、横暴の限りを尽くし、多くの国の住民を虐げたり、大量虐殺をしたりした。今後はそんなことがないように平和の大事さを徹底的に教えなければいけない。という事で、とにかく日本は〈悪〉だったと徹底的に教育された。
そろそろ日本も歴史の事実を知り、自虐史感から抜け出さねばならぬだろう。
むろん永久の平和を求めるために。

著者紹介

清水一幸(しみず いっこう)
1949年生
長野県生、中小企業庁、法務省、九州電力、清水建設等多数の企業研修講師。
大学校、専門学校講師。

著書
「実践行動学講座」希望社 「スーパーマーケット」「外食産業事情」いずれも城野経済研究所